もともと年齢にまつわる感慨など持たないほうですし、「もう不惑ですね」とか言われたところで、そもそも「惑い」のようなものをあんまり抱かないタイプ(つまんない奴です。すみません)。
周囲の反応や態度に「なんで?」と違和感を覚えたり、こちらから伝達しようとした内容がまったく違う形で解釈されて不安を覚えることは多かったけれど(30歳を過ぎてから特に。なんででしょう)、若いときから自分自身はそんなにブレない人ですし。
ただ、3年近く続いた「無所属」という貴重な時間が30代とともに終わるんだなあ、組織的事業の運営者にならざるを得ないんだろうなあ、という感慨はあります。
(たいへんそうだけど、またプロデュースの現場に立たなくちゃ、というような)
今日は、前の会社を離れたころに入手していた本をひさびさに手にとってみました。
城山三郎 『無所属の時間で生きる』。
(特別出演:カシワニ君 ←千葉県柏市のPRキャラクター)
経済小説の分野で名を馳せた城山三郎さんの随筆集。
企業社会や金融界、政府機関といった「組織の論理」が渦巻くなかを取材する身でありながら、ご自身はあくまでも「無所属」。ばったり出会った同級生とあいさつを交わすが「あちらは関西経済連合会の会長、こちらは一介の取材者」というような(『パートナー志願』)。そのあたりのギャップが生むおかしみというか、「世間は変転しているのに、私は相変わらずの日々だなあ。でもこれはこれで、味わい深いもんだなあ」といった趣の内容です。
その中の一節、「三十代最後の年には」のところには、こんな一文が。
私は日記をつけず、代わりに予定表を兼ね、簡単なメモを取っている。調べることがあって、古いメモの束を整理していて、その1枚に目がとまった。
そこに、私自身が
「耐えること、耐えること、耐えること」
と、三度反覆して書き残しているではないか。
日付を見ると、1966年、つまり私の三十代最後の年であった。
しかしながら、30年たってみると「何をそれほど耐えねばならなかったか、思い出せない」 …とのこと。
私も30代の後半は「耐える、忍ぶ、歯をくいしばる。しかし熱意は保ち続ける、いざとなったら立ち上がる」といった感じで、なかなかに苦しい時期を過ごしましたが、30年もたってしまえば「いい思い出」どころか、「いったいあの頃、なにしてたんだっけ?」となるのでしょう。そう思うと、気が楽になります。
そもそも3年前には私自身、人生で初めて訪れた「無所属になってしまうことへの不安感」から、すがるような気持ちでこの本を手にしたのだと思います。学生でも会社員でもなんでもない身分(単なる求職者、ハローワーク通いの無職)っていうのは、経験した人はわかると思いますが先行きがめっちゃ不安。でもその頃にどんなことを考えていたかって、今となっては思い出せないもんですね。あはは。
長生きだけはしたいと思っています。せっかくの人生ですから、楽しみにしろ苦しみにしろ、経験の総量は多いほうがいい。
すでに30代のうちに亡くなってしまった友人たちもいます。生きていることに感謝、だから不本意な時間の送り方だけはしないように。
1日1日を大事にする、日々成長し続ける努力を欠かさない… といったビジネスパーソンにありがちな感覚とは違いまして、
「みずからの精神の自由を大事にする、同時に相手の精神の自由をも尊重する」といった意識を、多忙になったとしても失わずにいきたいと考えています。
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城山さんの同じ文中では、『徒然草』の一節も紹介されています。(第百八十八段)
何方(いづかた)をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。
何もかも失いたくない、何もかも追求したいと欲張れば、何一つ事を成すことなく人生を送ってしまう…。さすがは名エッセイストの兼好さん、いいこと言いますね。
今年は通読してみよう、『徒然草』。部分的に自分なりの英訳をしてみるのも、内容が身についていいかもしれません(こういう便利なサービスもありますし)。
読み込んでいくうちに気が変わって、そのまま兼好さんのような暮らしに落ち着くとすれば、それもまた良し。彼が過ごした吉田神社も近いですしね。私も本来は、ひっそりと暮らしていたいタイプの人間です。
でも、今年の夏あたりからはそうも言ってられないのだろうな、という予感もありつつ。
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